Koptische Bauten/Coptic buildings

コプト教関連遺構

デル・エル・マエティン

フランスのエジプト学者シャシナとパランクは、アシュートのネクロポリス南部に位置する修道院の名を付けた。その名は、「死者の修道院」と訳すことができる(Deir al-MuttinやDeir al-Mazallとも記載される)。アル=マクリーズィー(15世紀半没)という著述家もまた、既にその頃に修道院が遺棄されたと述べている。年に1度の年中行事がそこで祝われた。現在は、泥レンガ造りの建物の遺構だけが残っている。過去100年の間に修道院遺構はひどく損なわれてしまった。

Deir_el-Meitin
Deir el-Meitin (© The Asyut Project; J. Kahl)

 

デル・エル・アッザム

「骨の修道院」はゲベル・アシュートの中腹から頂上にかけた場所に位置している。現在は修道院遺構が残存している。もしこれがアル=マクリーズィーが述べた「七山の修道院」だとすると、1418年に襲撃により破壊された。山には修道院の遺構だけではなく、窯や何メートルにも積み重なったコプト土器の層がある。それ故に、この地区はコム・エル・シュカファ(土器片の遺丘)と呼ばれた。

Deir_el-Azzam
Deir el-Azzam (© The Asyut Project; J.Kahl)

 

出版物